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大学生にもなって初めて不登校を経験した話(前編)

 昨日このブログは僕の趣味とかを忘れないようにうんたらかんたら〜言ってましたが、自分のありのままを知っていただける記事も書いていけたらなーって思っているので今回は僕が大学生で不登校になった話をしてみようと思います。

 

不登校とは?

不登校」とは,何らかの心理的,情緒的,身体的,あるいは社会的要因・背景により,児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にある者 (ただし,「病気」や「経済的理由」による者を除く。)。

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 こちらは小学校、中学、高校向けの不登校の定義なのですが、大学生の不登校もほぼ同じと捉えてかまわないと思います。ちなみに小、中、高校では1年間で30日の欠席が不登校の基準となるようです。大学ではきちんと1年生の時から単位を取っている人であれば4年生の頃には年間30日くらい休みの人も多いと思うのでこれは大学生に当てはめることはできませんが、もちろん僕は行かなければならない授業があるにも関わらず、ずっと学校には行かずにいました。

 

不登校になったきっかけを振り返る

 この記事のタイトルにもある通り僕は大学生になるまで不登校とは全く無縁の生活を送っていました。自分で言うのもどうかとは思いますが友達にも恵まれ、学校生活にも特に不満もなく過ごしていました。そんな僕がどうして不登校になったかというと、一言で言うと人付き合いがうまく行かなかったということです。それはこれまで友だちに囲まれて過ごすのが当たり前だった僕にとってとても苦しいものでした。

 もちろん大学でも僕と仲良くしてくれる人はいました。ただ、頭が悪いのも重なって授業の単位を落としてから、次の年にはその授業には友達はいません。出席しても難しい講義で、疑問に思っても気軽に聞ける友達がまわりにいないのでだんだん休みがちになりました。このときはまだたまには授業に顔を出していたので自分的には不登校じゃないはずです(笑)。これが大学二年生の後期くらいでしょうか。

 さて、こんな生活を繰り返していてはもちろんその年もその授業の単位は落としてしまい、終いには留年が決定しました。4年生の前期終了時点のことです。その時の率直な気持ちは「どうしよう」でした。何に対してそう思ったのかもわからないほど動揺していて毎日毎日「どうしよう」という言葉が頭の中を繰り返していました。どんなにお腹が空いてもご飯が全く喉を通らなかったのを覚えています。

 そして不安と動揺でいっぱいいっぱいのまま後期が始まります。大学は単位を満たせば留年しても前期終了時に卒業もできるので今はとにかく半年の留年で済むように頑張らなきゃと思っていました。しかし、その時の僕にそんな頑張る力など残っていませんでした。2年も下の子たちと一緒に受ける授業で味わう疎外感。相変わらず理解できない講義。毎日生き詰まる思いで通っていたのですが、一度学校に行くのが本当に億劫でサボってしまえ!と思って休んだことがありました。すると次の週の授業からは行っても絶対理解できない。そんなところに行きたくない。どうせ行っても疎外感が・・・などと思うようになりついに不登校になってしまいました。

 

不登校の僕

不登校の僕の一日

 学校が始まる朝は行かなくてはならないけど億劫だから今日はパスしてのんびりしてリフレッシュしよう。明日から頑張ろう!なんてことを考えて学校を休んでいました。しかしだんだん自分は不登校なんだという現実も見えてきて、リフレッシュするはずの一日は現実逃避のために一日中ベッドでスマホをいじる生活になりました。するとすぐに夜がやってきます。明日から頑張ろうと決めてはみたものの頑張れる自信は全くありません。できればこのまま明日が来てほしくない、来ないように夜は寝ないでゲームなどをして過ごしました。しかし、驚くことに朝が来たのです。…まあ当たり前なんですけど(笑)。こんな状態で学校に行けるはずもなくその日は学校が始まる時間くらいに気絶するように眠りにつきました。するともう皆さんなんとなくわかると思いますが、ここから悪魔のローテーションの始まりです。学校がある時間は寝て、そうでない時間は起きておく、欲しいものはネットかコンビニ。まさに絵に描いたような不登校でした。

 

不登校になって感じたこと

 まず、留年して一番最初に思ったことは家族に対して申し訳ないということでした。僕の家は世間的に見ても低所得に属しているし、大学に入る際も将来の自分に賭けて奨学金をめいっぱい利用しました。そうでなければ学校に通えなかったからです。奨学金の返金は僕がするのですが、入学金や、入学前の準備などにかかったお金はばかにならないほどです。「留年」という文字が突きつけられた瞬間僕はそれらをすべて無駄にしてしまった気がしてなんて親不孝な息子なんだと自分を責めました。

 そうしてだんだん不登校になるわけですが、僕は先にも述べたとおり大学生になるまで人付き合いもうまく行っており、僕の周りの誰も僕がこんなことで悩み、ましてや不登校になるなんて思わかったでしょう。そんな僕が留年、不登校になっただなんて家族はひどくショックを受けるに違いないと思いその事実を打ち明けるのがとても怖かったです。

 そして嘘をつきました。しばらくつき続けました。

 留年は隠しきれなかったので成績が出た時点で打ち明けました。留年1年目の前期、時々家族から応援の声をもらいました。しかしそれが本当に辛かったです。なぜなら学校に行っていると思って応援してくれているわけですから。「うん!頑張るよ!」って笑顔で嘘をつき続けました。辛かったです。

 今思えばとにかくこの時期はなにも前向きに考えられていなかったなと感じています。

 

 

まだまだ書きたいことがあるのですが稚拙な文章をこれ以上読むのは苦しいと思うので明日後編として続きを書いていこうと思います。

 

 

*1:(引用)文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査−用語の解説」